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75、高知県農産物の首都圏への物流システム (平成31年2月13日)

 農産物等、一次産業が中心な高知県にとって、大消費地である首都圏へ安定した、効率の良い、安価な物流の仕組みを構築することは、高知県産品の市場での競争力を高めることが、多くの生産者の願いである。
 現状では、多くのトラック事業者の懸命な努力にもかかわらず、物流量がまとまらない。首都圏への物流システムが不十分であるために、生産者、トラック事業者、販売者、3者がウインウインの状況ではないのである。したがって、運賃負担力のない一次産品に占める輸送関連の比率は、他県に比べて高いといわざるをえない。もちろん、高知県には園芸連・JAのすぐれた輸送システムが大きな力になっている。
 生産者と買い手の直接取り引きが増えていること、カット野菜やカットフルーツが商品の主流を占めていること等で、流通形態も大きく変化してきている。
 例えば、弊社が栽培している青ネギでその多くは、根の部分を残して畑から刈り取り、外側の部分を取り除き(そぐり作業)。それを10キロ箱(140サイズ)高さ70センチ,横と奥行きは30センチと40センチ(0.084立方メートル)に入れる。現在の商品価格はキロ当たり平均で250円すなわち10キロで2,500円程度である。これを宅配で首都圏へ送ると1,100円更にクール便にすると+1,000円になり、商品代金と運賃がほとんど変わらない、運賃比率は45%以上、輸送コスト段ボール代を入れると50%になる。
 地元の園芸連やJAは生産者からの多くの農産物を取扱、それなりの仕組みができている。生産者が買い手や加工業者と直接取引が増えている中で、生産者それぞれが物流事業者と交渉しなければならない。少量だと、ヤマト運輸、佐川急便、それに郵政に依頼するケースがほとんどで、宅配運賃になる。ある程度まとまった量になると、運送業者との交渉になるが、運送業者側もそれぞれの運航計画があるので生産者側の意向に沿えるのには限界がある。
 高知の高速インター近くにターミナルを持つN物流は、クール便専門で運賃もかなり安く運んでくれる運送事業者である。貨物量と頻度、配達先を限定して荷受けする仕組みである。なぜなら、彼らの運航経路上で、荷受けが24時間できるところ、すなわち市場か、その外郭でないと運航時間が読めないので断られる。
 更に高知県の場合、東西が長いので、物流事業者にとっても集配に時間とコストが掛かり、それも運賃高に影響している。長距離輸送の車は高松や徳島あたりまでは入ってくるが、高知県まで入り込んでくる車は少ないのである。したがって、どこかでの中継所が必要になる。
 それでも、何とか多くの生産者の直接取引をサポートするための仕組みを構築したいと考えている。それには、生産者ごとの商流を把握することと、物流事業者の運行の現状を調査することが必要と考えている。一生産者の仕組みではなく、多くの生産者が望む仕組みを、専門家を交えて検討中である。今後の運転手不足の状況も踏まえ、鉄道を利用した輸送に関しても取り入れる予定である。

2019年02月13日

74、連携高知 (平成31年2月4日)

 首都圏と地方都市との連携で、日本全体を活性化させる取り組みから、都道府県別にそれぞれの中核都市と地方との連携で広域での交流や、経済活動を活発化させる取り組みが始まっている。高知県においても、具体的な取り組みが試みられている。
 まずは、県全体の移住促進政策として、2段階移住の取組が始まっている。高知県に関心を持たれる方に、まずは高知市に来ていただく。住みながら3か所以上の地方を訪問し、希望される地域を自ら探してもらう。御本人が納得して移住してもらうために、細かい配慮が必要である。
 人的若しくは金銭的な補助の仕組みを整備し、活用してもらう。さらには、移住後に地元の皆様と交流する機会や、移住者それぞれの連携や、交流の機会も積極的に設営する必要がある。
 少子高齢化で人口減少が激しい地域や、消滅することが心配される町村へのサポートも欠かせない。
 私どもは主として、シニアの移住促進に取り組んでいる。この活動も、各自治体で取り組んでいる移住促進活動と連携して、活動していくことが基本である。高知市でも、シニアの移住に関して民間と協同して進める意向で、我々は民間の立場で具体的な取り組みを進めていきたいと考えている。
 我々の今年の取組は、高知市の認定するCCRCの活動団体として、具体的なシニア移住の実績を上げるべく、様々な活動が必要となっている。日々の活動を通じて関係者に喜ばれ、望まれる成果を上げるべく英知を絞って、具体的な成果に結び付けたい。
 昨年に引き続き、高知の偉人を紹介する土佐学講座の第2弾として、宿毛市や四万十市等に焦点をあて、首都圏の皆様をターゲットに早稲田大学で開催する。さらには、高知の食を味わってもらう「南国土佐まつり」や、高知への移住希望者のための旅行も計画している。
 地方と高知市との連携の一つに日曜市がある。毎週日曜日に開かれ、300年の歴史がある高知城下の追手筋で開催され、高知市内の生産者を中心に参加している。
 日曜市に県下の各地域連携の取組として、9か所の出店ブースができている。私も香美市、南国市、香南市の一つのブースに、香美市観光協会の方と一緒に、青ネギや焼き肉のたれネギ味噌等を持ち込み販売し、にぎやかに交流を促進する機会になっている。
 最近では、各地域の自治体や、移住促進のNPO等が回り持ちで、各所で交流を深め、それぞれの地域を知ると同時に、同様の問題や悩みを語り合う機会や、解決策を検討する機会も、定期的に開催されている。
 地方の人口減少は避けられない共通した現象だけに、それぞれの自助努力も必要である。それぞれの地域の強みや特長を生かしながら、共通の課題に向かって協力していくことで、地域全体のまとまりやビジョンが磨かれ、より住みやすい、それぞれの楽園への課題解決が見えてくるかもしれない。やはり最後は人と人との触れ合いの大切さを、それぞれが感じることになるのだろう。

2019年02月04日

73、土佐塩の道(2) (平成31年1月20日)

 戦後1950年頃に、瀬戸内海から四国に渡るときに沿岸でよく見る光景が塩田であった。 私は当時でも高知県で塩田が数多くあったことは知らなかった。 現在では昔のような塩田はあまり見かけない。 しかし手作りで、高級な塩が何か所かで作られている。 現在では、日常に使っているのは工業塩のようである。 国や地域によっては岩塩として、内陸から取り出す天然の塩もあるようである。 日本各地も同様と思われるが、四国の場合も道路インフラが十分でなく、交通手段や物流が発達してない頃は、内陸に住んでいる方々にとって、沿岸部から塩を取り寄せなければならなかった。内陸の人々にとって、冷蔵庫等もなく、長期保存のためには、塩漬けにすることが欠かせない状況であったと推察できる。
 一例をあげると、天正から慶長の年代(約400年前)には、今の高知の土佐湾に面した、香南市夜須町から吉川町にかけての海岸は一大製塩地で、中心の赤岡では塩市が開かれていた。 この塩を奥地に運ぶための道を「塩の道」といっていたそうである。 塩の生産地と奥地を結ぶ重要な産業道で、塩に限らず海産物や生活物資も運搬され、相互往来の道であった。
今でもその土地の地形や地名により、七浦往還、日浦往還、徳善往還、赤岡往還などとよばれ、
また「塩」「シオタキ」「塩ヶ峯」などの地名も塩と関係している。 当時は主に馬の背に塩や雑貨を積んで往来した関係で、馬と旅人の安全を祈願する「馬頭(めず)観音」が塩の道沿いに祀(まつ)られている。
 現在では、香美市物部町大栃から、香南市赤岡町までの約30キロの区間を「塩の道」と復元整備をしている。 これはほんの一部で、物部町大栃から奥に入り、①別府の四つ足堂峠、②久保の韮生越え、③笹を超えて祖谷(いや)へと、三つの往還が四国山脈を越えて徳島へとつながり、海から山へ、奥地から浜へ、まさしく多くの人の生命と生活を支えた塩の道であった。当時の赤岡町には郡奉行所なども置かれ、政治、経済ともに香美郡の中心をなす地で塩の道は物流とともに、情報(文化面)の大動脈でもあったと考えられる。
 塩の道の時代には、大栃(おおとち)町は単なる通過点にすぎなかった。 一帯は沼地で田園が並び、山の手には4つの池があり、この水が田に引かれていた。1892年(明治25年)頃は中心地に僅か4から5軒の店があって日用品、雑貨、荒物などを売っていたが、1899年(明治32年)道路開通とともに交通の要所となり、物資の集散地として大きな役割を果たすことになる。1992年(大正11年)には町の区画が整理された。1950年(昭和25年)には永瀬ダム建設工事が始まり、多くの人が流入し、大栃の町は大変なにぎわいとなった。 その後時代とともに、この地の役割も変化し、現在ではこの地を歩くと、昔の面影が残る程度である。
 忘れかけているこの地を、塩の道保存会が中心になり、官民共同してこの財産を残そうとしている。 先日もその一部を実際に歩きながら、学習と今後の取組について、その意義や観光資源としての価値を学習したところである。

2019年01月20日

72、高知城、光の祭り(平成30年12月11日)

 今年は平成最後の年末となる。高知に滞在し始めて4年近くになった。両親のルーツが高知県ということで、サラリーマン生活の時代をはるかに過ぎてから住み着くことになった。女房・子供を東京に置いて、小生の郷里である高知、父の実家で農業法人を仲間と立ち上げ、徐々に土佐人の仲間入りとなり、終活の準備なぞは一向に進まず、よせばいいのに新たな取り組みが喜寿(77歳)を迎えても止まらない。

 あらたな歳を目前に今年の年末年始もイベントに参加する。お祭り好きの高知に住んでいると、一年中がお祭りで過ぎていく。
 高知城は、年末11月22日から新年の6日まで光の祭りである。これは,「志国高知、幕末維新博」特別企画、日本三大夜城として行われるものだ。高知城は1601年から約10年の歳月をかけて築かれた。その後、火災にあいながらも江戸時代中期には創建当時の姿で再建された。日本で唯一、天守だけでなく本丸全体の建造物がほぼ完全に現存する貴重な城である。
 今回始めてチームラボによりDIGITIZED KOCHI CASTLEというアートプロジェクトを行っている。非物質的であるデジタルテクノロジーによって、街を物質的に変えることなく「街が街のままアートになる」というプロジェクトである。光の祭りのプロジェクトでは、江戸時代の姿を今に伝え、現在も高知の街の象徴である高知城を、人々の存在によって変化する、インタラクティブな光のデジタルアート空間に変えるものである。夜の5時半から9時半まで、二の丸、三の丸でこの光の祭りが行われ、多くの市民や観光客が訪れている。

 追手門からすぐ脇の飲食・物販ブースには9店舗ほどが出店している。ブースの奥には舞台があり、お神楽や、文楽などの催しが演ぜられる。
 私は仲間とそのブースの片隅で、焼きそばをホットプレートで作っている。この焼きそばは、特製のたれである弊社販売の「にんにくやきにく極みたれ」と塩コショウで味付けしたもので、具としては自社栽培の「青ネギ」と四万十ポークをいれたもので、上品な味でおいしいと評判である。もちろん、その場で、その「たれ」と、ネギ味噌の商品の販売もしている。同じブースのE氏はもともと飲食店経営の専門家で、土佐の赤牛の串焼きやビール、ワインの販売などで、奥様と魅力ある商品を販売している。
 私の楽しみは、焼きそばの販売を通して、そこに来られるお客様と世間話や焼きそばの味に関してやり取りをすることである。高知は約70万人の人口であるが、お祭り好きだけに毎晩多くの市民が押しかけるが、やはり知り合いの方が来店して声を掛けてくれるのが楽しみだ。最近は高知でも夜は寒いので、屋外での飲食よりも近くにある「ひろめ市場」に人気があり、多くの来場者の流れは町中に消えていく。
 我々、食品ブースの出店は残すところ、12月31日(大晦日)と元旦から6日まで。したがって、年末年始は家族と離れてお城で過ごすことになるが、なかなか経験できないことなので、それなりに楽しく仕事として取り組みたいと考えている。
 読者の皆様、どうか良い新年をお迎えください。         

2018年12月11日

71、高知新港の将来性(平成30年12月10日)

 コンテナ・ターミナルを保有する地方は貨物を集め、外航船を誘致することに努力を継続している。高知県は平成29年に第2期の高知新港振興プランがある。平成29年度から33年度までに関して策定している。その内容は、県内貨物の集貨・創貨による外航航路(東南アジア方面)誘致の実現である。具体的には、県内貨物の利用促進によるベースカーゴの確保(集貨)、海上輸送による農林水産物の輸出拡大(創貨)、コンテナ航路の充実に必要な施設整備が挙げられている。
 御承知のように、現在狭い四国4県は、高松港、徳島小松島港、高知港、松山港、今治港、三島川之江港の6港が存在している。それぞれ外航船を直接誘致するには、貨物量が少なく同様な問題を抱えている。それでも、それぞれの港が努力して外航船の誘致活動を行っている。しかしながら多くは、釜山などへのフィーダー配船がほとんどである。
 高知港の場合は、金曜日には「三栄海運」が週一便釜山経由の貨物を運び、木曜日には「シノコー成本」が釜山、天津の貨物を、火曜日には「鈴与」が内航船で神戸経由の荷物を積んでいく。関係者の努力の結果、貨物量は徐々に増えているらしい。
 高知県の太平洋に面した立地条件から何とか港湾の利用を促進していきたいところである。高知県内だけで考えると、現状では大幅に輸出入貨物を増やすことは難しいと思われる。何とか英知を絞って徐々に貨物を増やし外航船を誘致した。船会社は貨物のある所に寄港するのが常識である、とにかく貨物を増やすしかないのである。貨物が集まれば、船会社は大阪・神戸に船を寄せるより、高知港の方が運航コストもセーブできるに違いない。徐々に高知港積卸の貨物を増やす努力と戦略を検討し続けなければならない。幸いにも、中国地方から高知までの国内輸送のための道路はかなり整備されてきているので、外航船が瀬戸内海を航行するよりも広範囲に存在する貨物を高知港に集結することの可能性はあるように考えられる。その際、四国の他港との連携で、それぞれを輸出入の基地として活用することも可能ではないかと考える。貨物が先か、舩が先かと模索されるが、とにかく徐々に貨物を増やしていくしかない。
 その一つの方策が、現在港に建設中の高台の埋め立て地を、流通基地としての活用にあると考える。産官学の知恵を絞って、県内の一次産業を生かす6次産業拠点として、国内外に流通できる商品を生み出す基地として、多くの生者者や産業界が一丸となって取り組めないものだろうか。もちろんそこにはリーダーカンパニーを誘致する必要あるが、ロジスティクスの考えからすれば、具体的な青写真を産官学で検討した上で、参加者を募る活動を進める必要があると考える。そこに必要なのは、汎用性のある、製造・加工・保管配送流通を束ねた施設が求められる。各種研究機関の存在も忘れてはならないのだろう。
 関係者が諦めないで同じ方向に向かえば、外航船の配船は不可能ではないと考えている。本件に関して、過去の川崎港の経験からその難しさは十分承知しているつもりである。小生も微力ながら誘致活動に参加して、実績の上がるのを楽しみにしたい。

2018年12月10日
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