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94、空き家対策(続編) (令和元年12月4日)

 首都圏、主要都道府県を除くほとんどすべての地域で、少子化・高齢化・人口減少に伴い、空き家対策が重要な課題になっているようです。前回に引続き、移住・定住の促進に取り組んでいる自治体・民間の活動を御紹介します。
 高知県の西北部,愛媛県との県境の町、梼原町は、雄大な四国カルスト高原を有する四国山地の山間地帯の属し、四万十川の渓谷と山々に囲まれた町で面積236K㎡(森林が91%)人口3,480人、高齢化率44.9%です。そこでの、空き家活用促進事業は。人口減少・若者流出により空き家が増えている一方で、都会に住む人たちは「田舎で暮らしたい」という新たな生活志向が高まり、都会から田舎に移り住む人も増えている。「家」は集落・地域を構成する重要な要素であり、人が生きていくための「衣食住」を満たす場所であるため、地域にある空き家の資源を有効活用し移住・定住者の受皿づくりを進め、地域の活性化・集落の維持につなげていきたいと取り組んでいる。
〇「空き家活用住宅とは」:町内にある空き家のうち、所有者から借り上げた住宅を整備し、町が管理運営を行い、移住定住者に使用させる住宅としている。
〇「借り上げを対象とする空き家住宅とは」:人の住んでいない一戸建ての住宅。空き家の所有者が改修することを承諾したもの。空き家の所有者が転貸することを承諾したもの。回収経費が限度以下のもの。
〇「改修の種類及び限度額」:台所・浴室・トイレ、いわいる水場を基本として、昭和57年度以降に建築された住宅(耐震改修が必要でない住宅)は、改修費450万円を上限、昭和56年以前に建築された住宅(耐震改修が必要な住宅)は改修費570円を上限(耐震改修120円をプラス)、設計管理費としては60万円。
〇「借り上げる期間」:所有者と町の契約期間は10年、原則無償借上(10年を超える日以降の最初の3月31日まで契約期間満了後、空き家所有者に返還する。)このようにして、移住定住に関しての住環境への支援を行い、持家住宅への支援も行っている。

 このたび、空き家問題に独自で取り組んでいる「NPO法人ふるさと福井サポートセンター」の方を梼原町にお招きし、その取り組みを伺うことができた。取り組み始めたリーダーの本業は建設会社で、さまざまな建築業務に取り組むなかで、空き家対策事業への取り組みは、解体依頼が増加している中で「全部壊していいの?」という疑問から始まった。
 福井県、美浜町で地元の知り合いで仲間を作り、この課題に取り組み始めたとのこと。美浜町の現状も、ピーク時は13,000人であった人口が現在は9,400人と落ち込んでいて、空き家の数は427軒(11%)ちなみに全国平均は13%。で、65歳以上の単身高齢者世帯(空き家予備軍)は670所帯と現状の空き家よりも多いとのこと。こういう現状の中から空き家マッチングツアーや、移住者と地元の方々との交流会、自治体との連携の協定に取り組みながら、町の移住体験施設や集落活性化の拠点づくりも手掛け、空き家に関する総合的な取り組みにまい進し、現在では地元の地域を超えた普及活動、空き家バンク、所有者の啓もう活動等に精力的に活動されている。
 当面、アクティブ・シニアの高知県への移住促進に取り組んでいる私どもとしても、これらの、空き家対策への取組みは、大いに参考になります。

2019年12月04日

93、空き家対策 (令和元年11月24日)

 日本の人口減少、高齢化・少子化が進む中で、地方の状況は耕作放棄地と同様、空き家の対策も急がれる。空き家が沢山あるといっても、不動産売買、賃貸契約に至る前に、所有者や権利者の法的手続きが整わなければ実際に住めるようにはならない、所有者の家具や荷物、仏壇等を処理しなければならない。更には、古民家の場合等は、かなりのリフォームや修理、立て直し等、手を入れなければ住めない住宅も多い。古民家の場合、修理するより立て直した方が、先行きを考えると安上がりのケースもある。
 最近人口が70万人を割り込んだ高知県の状況では、およそ住宅戸数は34万戸、空き家は5.8万戸で、約17%が空き家ということになる。これでも都道府県の中では、中ほどに位置するようである。全国的に地方は大変な状況といえる。
 空き家対策に関しては、高知県では土木部住宅課が窓口で「空き家再生・活用促進専門家グループ」が最近立ち上がっている。取組の内容は、市町村が実施する空き家の調査、実態の把握に関する業務の支援。空き家を再生・活用するための改修設計及び改修工事に関する技術的な業務支援。再生した空き家の管理・運営に関する専門的な業務の支援。利用者側と提供者側双方の要望を踏まえた再生計画の策定の支援。空き家を活用した移住促進するための業務の支援等を挙げている。
 最近、何人かの知り合いから、「家屋敷、山林田畑も含めて何方かに差し上げたい」とか、「老人ホームに入居するので住宅を何方かに譲りたい」等の相談を受ける。
 私が現在住んでいる、香美市土佐山田の家は、最近まで父の一番下の弟が夫婦で住み、元気なころは畑や田圃を耕し、乳牛を飼っていた。8年ほど前に夫婦とも高齢と持病で亡くなり、空き家になった。故郷を何とか残したいと、妻と息子(大学生)を東京に残し、6年前に移り住んだ。
 私の記憶では、60年前の学生の頃、この故郷へ父と一緒に戻ると、近所の大勢の知り合いが用水で洗濯等をしていて、良く帰ってきたと皆が歓迎してくれた。そこが今では、道行く人も普段は見かけず、隣の家の親戚も今では年配の従弟の婦人が独りで住んでいる。並びの家々には、空き家も散見される。
 私は現在、首都圏のシニアを高知への移住促進の仕事にも取り組んでいるが、移住しやすい環境を整えることが大切と考えている。それには、空き家の活用は重要なテーマでもある。高知県の各自治体の移住に関する取り組みと、それに関連する民間団体との交流も大切な活動でもある、その共通の課題として空き家の活用を進めていきたい。
 昔は、地域住民との交流は無くてはならない生活の基盤であったと思われるが、最近では田舎でも隣人との交流がほとんどない場合も増えている。今後は、それぞれ地域の隣人との共通課題として、地域で空き家を管理していく仕組みに取り組んでいくことにしてはどうかと考えている。地域は過疎になりつつあるが、隣人で空き家を管理・活用する課題に取り組むことで、地域力を盛り上げていくことにならないだろうか。住みやすい協働の社会づくりに一歩踏み込めないだろうか。

2019年11月24日

92、地方都市の頑張り (令和元年11月5日)

 人口減少、少子化・高齢化が日本全国の地域に広がり、消滅する村等もあちこちで出始めている現状である。筆者が現在滞在している高知県は、知事自らが「高知県は人口減少、少子化・高齢化の先進県」と言われている。高知市の北に位置する大川村は村議会の運営が難しくなった。全国でも注目されることになった。高知県全体でも、70万人を切る人口で、その内約半数が高知市の人口になり、東西に長い中で34市町村では、同様に問題を抱えている。
 そのような現状の中でも、各地域はめげることなく、さまざまな活動を展開して頑張りをみせている。先日、高知県の西部のやはり小さな村三原村には、地元の新聞社が地域を盛り上げようと、週末を含む3日間、地元に数人の記者が泊まり込み、地域で様々な活動をしている状況を、記事にして広く広報活動をしていた。この村では、特産品として硯石があるが、農家の方が現在では7軒ほど「どぶろく」を製造販売している。今回のイベントの中には、この「どぶろく」を大きく取り上げ、「どぶろく祭り」として、どぶろく飲み放題のふるまいもあった。また、この7軒の「どぶろく」生産者は、それぞれが自前の畑で米を栽培し、それぞれが自社ブランドで販売し、そのほとんどの生産者が民宿をも経営しており、宿泊すると「どぶろく」のふるまいがある。
 私も、最近東京から高知へ移住されたK氏と、親戚のおばさんと三人で出かけた。どぶろく製造者の一軒にお邪魔して(前にも宿泊したことがある)暫く談笑させてもらった。それぞれが、地域のために連携して活動している状況を知ることができた。この地域もまた、“ONE-チーム”だった。
 高知市から、東に約20キロの地点に、私が住む土佐山田町がある。やはり年間を通して様々なイベントがあり、自治体、観光協会、商工会等が連携して、地域を盛り上げる活動に取り組んでいる。先日、土佐山田駅の周辺(香美市)では、商店街を盛り上げようと、観光協会が毎年この時期に開催している、地元の飲食店をのみ食べ歩く、“香美バル”を金曜日、土曜日の2日間開催した。普段のぞいていないお店に入るにはいいチャンスになるし、お店側も新たにお客さんを増やすチャンスになる。この活動を近隣の、南国市が3年前から取り入れ、同様に昼でも夜でも南国市内飲食店を食べ歩き&飲み歩き!”南国グルメはしごでGO“と称して、商工会議所がチケットを販売して展開している。
 私もついチケットを買ってしまい、4軒はしごをしてしまった。気に入ったお店も発見できたので、その内には、友人と飲みに行くことにしている。
 その他にも、曜日ごとに高知市内で開催される、屋台の市、特に土曜市、日曜市は、高知市と各地域の連携を図ることで、相互に活性化することに役立っているようである。
 今後も、それぞれの活動を大切にして、関係者が頑張ると同時に、楽しめる活動を推進出来るように微力ながら、仲間を大切にして頑張っていく。

2019年11月05日

91、中山間ビジネス(令和元年10月15日)

 高知の住まい(会社の所在地でもある)香美市土佐山田から車で5分程のところに、県立大学である高知工科大学がある。しばしば訪れているが、先日公開講座「地域活性化システム論」が一日開催されるというので、弊社にインターンシップで来られている高知大学農林海洋学部の一年生であるUさんを誘って参加しました。
 テーマは日本の各地、特に中山間地区で、激しく高齢化人口減少が進む中で、地域を活性化する策はないかという内容です。講演者並びにスピーカーとしては、まず政府の取組内容を、内閣府の参事官K氏が講演し、民間の専門家であるS氏が「中山間ビジネスと地方創生」のテーマで、各地の取組状況と具体的な成功事例等参考になる講演で、特に参加している高校生や大学生に向かって、各自の進路に関して、ただ単に企業に就職するだけの目標ではなく、学生の大事な時期に、自分の将来に関して様々な思考の中から、独自性のあるビジネス・プランを生み出す努力をしてほしいという、強いメッセージが届けられた。
 さらに、高知県梼原町松原地区において、「持続可能な中山間地域づくり」に取り組んでいる、四万十森林管理署梼原森林事務所森林官のM氏が、84%が森林で、日本の都道府県の中で、最も森林比率の高い高知県において、どのように持続可能な森林を守るのか、説明がなされた。森林を大切に守り、間伐や的確な植林を継続することで山が健康になり、そのことが河川を通じて、山の豊かな栄養を海に運ぶことにより、沿岸に多くのプランクトンが育ち、それを小魚が餌として育てば、豊かな漁業資源が絶えることなく供給される。気仙沼の美味しいカキが大震災で全滅したときに、流木や流れた筏等を目の前にして、養殖を諦めようとしたが、海中を調べたら、カキが食べきれないほどの餌があることがわかり、従来川上の植林をいとわず続けていたことでその努力が無駄になることなく、海は守られていたことを知り、勇気づけられ、急ピッチで復旧にこぎつけた話を畠山重篤氏は、結びの言葉に「森は海の恋人」といわれた。
 さらに、中山間である、四万十川中流域で、地元の産物を使って、他の地域ではまねのできない栗の加工品や緑茶、香り豊かな米、天然アユ等を、地元の生産者とともに取り組んでいる株式会社四万十ドラマのK事業課長から具体的な取り組みの発表があり。関連して、地元の野菜等の生産者であるお母さん方がチームを作って、それぞれの栽培した野菜等を利用して、株式会社十和おかみさん市を運営し、正に六次産業に取り組んでいる内容が報告された。最後に発表者全員と、高知工科大学の経済マネージメント学部のM講師がファシリテーターでパネル・ディスカッションが活発に進められた。
 中山間でビジネスが数多く取り組まれれば、仕事がなくて都会へ出てしまう若者たちをUターンさせることもできるし、潜在している新たな労働力を活用して、活性化することも可能であると方向付けることができるに違いない。私も最後に少々時間を頂いて、現在取り組んでいる、CCRCの活動、最近はアクティブなシニアだけが対象ではなく、多世代を対象にした、「生涯活躍のまち」への取組に関して、中山間地区の皆様とともに進めたいことと、高知県でも地方創生の活動に一環でシニアの移住定住にも取り組んでいる旨を学生の皆様にも伝えた。

2019年10月15日

90、スポーツと健康 (令和元年10月4日)

 人生100年時代といわれ始め、健康寿命に関して関心が高まっているように感じています。筆者も数日で79歳になります。同年輩の友人も元気な方も多い反面、既に亡くなり、具合の悪い方も増えています。医学が発達している現在ですから、延命治療で多くの知人が病院で過ごされています。
 私自身のことでいえば、具合の悪いところや、医者に指摘されている血圧や血糖値に関してあまり自慢はできませんが、少なくとも、食欲も盛んで皆に食べ過ぎだと批判されるケースもありますが、今のところ自覚症状はなく、元気に過ごしています。もちろん、主治医には食生活の改善をと、常に警鐘を鳴らされています。
 私の兄弟は5人いましたが、長男は生まれて間もなく亡くなっていて、一歳上の兄は激務のサラリーマン生活の後、自分の好きなことをして過ごしていましたが60半ばで亡くなり、一番下の弟も40台で難病を患いなくなってしまいました。現在、元気で生きているのは妹と私だけになっています。
 私が元気でいられるのは、両親から頂いた健康な体だからかもしれませんが、やはり日頃の運動好きなところにあると感じています。本来人間は動物ですから、それなりの運動は必要なわけで、それが現代の社会では適度な運動が好きでするか、健康維持のためにするかを心がけないと、人間の内臓も含めた機能が低下すると私は考えます。
 自分を振り返りますと、小学校2年までは愛媛の今治で過ごしていて、野原や河岸を駆け回っていたと思われますし、その後東京での生活も運動ができる環境に在ったと記憶しています。運動好きの私は中学校では山岳部に入り、ふだんは校庭で幅跳びや、三段跳びをやっていました。高校ではバレーボールを部活でやっていました。当時は6人制ではなく9人制で、身長がないので常にレシーブ中心のバックのポジションでした。部活が終わると体はぐったりしていましたが、毎日運動後の爽やかな気分を味わっていました。
 大学の3年間は空手部で部活の毎日でした。厳しい練習に加えて、その頃からテニス部の友達とテニスを楽しんでいました。このテニスは現在も続けています。大学を卒業後も40代半ば頃までは、バレーボールや空手も遊びで楽しんでいましたが、運動の中心はテニスになりました。特に、アメリカ、シカゴの駐在中の4年間と、香港の駐在中の3年間は、ほぼ毎週ラケットを握っていました。東京へ戻ってからも、仲間を探して続けていました。地域の大会にも何度も参加しました。今でも東京へ戻ると仲間に声をかけてテニスを楽しんでいます。今はほとんど高知へ滞在していますが、テニスは継続しています。
 若い方々に入れてもらっているテニスは、近くの中学校のコートで夜の8時から10時の時間帯で、毎週月曜と金曜にできるだけ参加するようにしています。後は東京での友人で高知にUターンされた方と、月に2回ほど彼が所属しているテニスクラブで楽しんでいます。
 さらに、最近では知り合いの婦人から、初心者ですが何人か集めるからテニスを教えてくださいと依頼され、私のニックネームロッキーをチーム名にして、高知のセレブのテニススクール“ロッキーズ・テニスクラブ”が始まっています。

2019年10月04日
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