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91、中山間ビジネス(令和元年10月15日)

 高知の住まい(会社の所在地でもある)香美市土佐山田から車で5分程のところに、県立大学である高知工科大学がある。しばしば訪れているが、先日公開講座「地域活性化システム論」が一日開催されるというので、弊社にインターンシップで来られている高知大学農林海洋学部の一年生であるUさんを誘って参加しました。
 テーマは日本の各地、特に中山間地区で、激しく高齢化人口減少が進む中で、地域を活性化する策はないかという内容です。講演者並びにスピーカーとしては、まず政府の取組内容を、内閣府の参事官K氏が講演し、民間の専門家であるS氏が「中山間ビジネスと地方創生」のテーマで、各地の取組状況と具体的な成功事例等参考になる講演で、特に参加している高校生や大学生に向かって、各自の進路に関して、ただ単に企業に就職するだけの目標ではなく、学生の大事な時期に、自分の将来に関して様々な思考の中から、独自性のあるビジネス・プランを生み出す努力をしてほしいという、強いメッセージが届けられた。
 さらに、高知県梼原町松原地区において、「持続可能な中山間地域づくり」に取り組んでいる、四万十森林管理署梼原森林事務所森林官のM氏が、84%が森林で、日本の都道府県の中で、最も森林比率の高い高知県において、どのように持続可能な森林を守るのか、説明がなされた。森林を大切に守り、間伐や的確な植林を継続することで山が健康になり、そのことが河川を通じて、山の豊かな栄養を海に運ぶことにより、沿岸に多くのプランクトンが育ち、それを小魚が餌として育てば、豊かな漁業資源が絶えることなく供給される。気仙沼の美味しいカキが大震災で全滅したときに、流木や流れた筏等を目の前にして、養殖を諦めようとしたが、海中を調べたら、カキが食べきれないほどの餌があることがわかり、従来川上の植林をいとわず続けていたことでその努力が無駄になることなく、海は守られていたことを知り、勇気づけられ、急ピッチで復旧にこぎつけた話を畠山重篤氏は、結びの言葉に「森は海の恋人」といわれた。
 さらに、中山間である、四万十川中流域で、地元の産物を使って、他の地域ではまねのできない栗の加工品や緑茶、香り豊かな米、天然アユ等を、地元の生産者とともに取り組んでいる株式会社四万十ドラマのK事業課長から具体的な取り組みの発表があり。関連して、地元の野菜等の生産者であるお母さん方がチームを作って、それぞれの栽培した野菜等を利用して、株式会社十和おかみさん市を運営し、正に六次産業に取り組んでいる内容が報告された。最後に発表者全員と、高知工科大学の経済マネージメント学部のM講師がファシリテーターでパネル・ディスカッションが活発に進められた。
 中山間でビジネスが数多く取り組まれれば、仕事がなくて都会へ出てしまう若者たちをUターンさせることもできるし、潜在している新たな労働力を活用して、活性化することも可能であると方向付けることができるに違いない。私も最後に少々時間を頂いて、現在取り組んでいる、CCRCの活動、最近はアクティブなシニアだけが対象ではなく、多世代を対象にした、「生涯活躍のまち」への取組に関して、中山間地区の皆様とともに進めたいことと、高知県でも地方創生の活動に一環でシニアの移住定住にも取り組んでいる旨を学生の皆様にも伝えた。

2019年10月15日

90、スポーツと健康(令和元年10月4日)

 人生100年時代といわれ始め、健康寿命に関して関心が高まっているように感じています。筆者も数日で79歳になります。同年輩の友人も元気な方も多い反面、既に亡くなり、具合の悪い方も増えています。医学が発達している現在ですから、延命治療で多くの知人が病院で過ごされています。
 私自身のことでいえば、具合の悪いところや、医者に指摘されている血圧や血糖値に関してあまり自慢はできませんが、少なくとも、食欲も盛んで皆に食べ過ぎだと批判されるケースもありますが、今のところ自覚症状はなく、元気に過ごしています。もちろん、主治医には食生活の改善をと、常に警鐘を鳴らされています。
 私の兄弟は5人いましたが、長男は生まれて間もなく亡くなっていて、一歳上の兄は激務のサラリーマン生活の後、自分の好きなことをして過ごしていましたが60半ばで亡くなり、一番下の弟も40台で難病を患いなくなってしまいました。現在、元気で生きているのは妹と私だけになっています。
 私が元気でいられるのは、両親から頂いた健康な体だからかもしれませんが、やはり日頃の運動好きなところにあると感じています。本来人間は動物ですから、それなりの運動は必要なわけで、それが現代の社会では適度な運動が好きでするか、健康維持のためにするかを心がけないと、人間の内臓も含めた機能が低下すると私は考えます。
 自分を振り返りますと、小学校2年までは愛媛の今治で過ごしていて、野原や河岸を駆け回っていたと思われますし、その後東京での生活も運動ができる環境に在ったと記憶しています。運動好きの私は中学校では山岳部に入り、ふだんは校庭で幅跳びや、三段跳びをやっていました。高校ではバレーボールを部活でやっていました。当時は6人制ではなく9人制で、身長がないので常にレシーブ中心のバックのポジションでした。部活が終わると体はぐったりしていましたが、毎日運動後の爽やかな気分を味わっていました。
 大学の3年間は空手部で部活の毎日でした。厳しい練習に加えて、その頃からテニス部の友達とテニスを楽しんでいました。このテニスは現在も続けています。大学を卒業後も40代半ば頃までは、バレーボールや空手も遊びで楽しんでいましたが、運動の中心はテニスになりました。特に、アメリカ、シカゴの駐在中の4年間と、香港の駐在中の3年間は、ほぼ毎週ラケットを握っていました。東京へ戻ってからも、仲間を探して続けていました。地域の大会にも何度も参加しました。今でも東京へ戻ると仲間に声をかけてテニスを楽しんでいます。今はほとんど高知へ滞在していますが、テニスは継続しています。
 若い方々に入れてもらっているテニスは、近くの中学校のコートで夜の8時から10時の時間帯で、毎週月曜と金曜にできるだけ参加するようにしています。後は東京での友人で高知にUターンされた方と、月に2回ほど彼が所属しているテニスクラブで楽しんでいます。
 さらに、最近では知り合いの婦人から、初心者ですが何人か集めるからテニスを教えてくださいと依頼され、私のニックネームロッキーをチーム名にして、高知のセレブのテニススクール“ロッキーズ・テニスクラブ”が始まっています。

2019年10月04日

89、イベント好きの土佐の風土(令和元年9月17日)

 都会生活を長く経験している筆者が特に感じているのか定かではないが、高知に長く滞在して感じるのは、年間を通して多くのイベントがあることに驚き、いつの間にか自分もそれに参加していることである。
 特に予定がなければ、かなり優先的に出向いているのが毎週土曜日、高知市内で新港に近い池公園で開催されるオーガニック・マーケットで、これには農産物を中心に、健康志向でこだわりのある方々が毎週買い物に来る。生産者とお客が近い関係である。
 私は40店舗程のほとんどすべての生産者と言葉を交わす。特に親しい山間部(大豊)からの生産者の所で、多くの時間を割いて談笑する。ここの方からは春先に乾燥ゼンマイを仕入れして販売させてもらっている。夜明けとともにテントを張って、夏場以外は午後2時頃までで終了する。出店者は翌週一週間かけて商品の用意し準備するので、土日に販売が終了すると、親しい仲間と遅い昼食を一緒にする。生産者にとってこのときが、一週間唯一のくつろぎの時間である。私も度々参加させてもらっている。
 さらに、できるだけ出向いているのが、毎週日曜日に開催される土佐の日曜市である。高知城、追手門から東へ1.3キロに300年続く市である。私にとって多くの生産者と触れ合い、季節ごとの農産物や果物に関して知識を得ることができる勉強の場でもある。ここ数年通い続けているので、多くの出展者と親しくさせてもらっている。この日曜市も高齢化の現象により、最近は店舗の並びに空きスペースがかなり目立つようになってきている。
 主催する高知市は、長く続いているこの市を引き続き維持しようと様々な施策を検討している。その一つが、高知市を中心にした高知県下の各地域との連携を計ることを考慮して、市場の空きスペースを9つの地域に参加してもらうためにテントも用意している。
 私は、地元の観光協会からの要請もあり、香美市の当番の日曜日には出店者として、自社の製品(やきにくのたれ、ねぎ味噌、青ネギ等)を持参して、来店者と会話するのを楽しみにしている。意外にも、観光客、外国人の旅行者も多い。
 その数週間だけでも、地元の駅前、土佐山田駅周辺のエビス商店街で二日間のお祭りにも、友人と飛び入り参加した。昨日は土曜市の方々が、月曜日の敬老の日に別の場所でローカル・マーケットを出すので、見に来てほしいとのことで、友人を誘って、JAが農産物を中心に販売している「そさのさと」とサニーマート(スーパー)の間にある通路でのイベントを見学に出向いた。その前日には、高知街ララ。ララ音楽祭が、あちこちで開催されていたばかりである。
 なぜこのように、頻繁にイベントが開催されるのか、地方都市、高知市だけではないと思われるが、それにしても、高知人のエネルギーには驚かされるものがある。高知県としては、地産・外商に力を入れているが、地産・地消のためには、これら多くのイベントの機会が必要なのかもしれない。私もできるだけこの風土の中に溶け込んでいこうと思っている。

2019年09月17日

88、移住者の一例(令和元年9月9日)

 1950年生まれ、現在69歳のK氏に関して、最近高知県へ移住された事情と、現在の高知での活動に関して、身近にいる私からお伝えしたいと思います。どこかへ移住・定住を検討されている方の参考になれば幸いです。
 5か月前になるが、高知県香美市の移住促進の担当者から、有楽町のふるさと回帰センターの紹介で、アメリカ生活が長いシニアの方が、高知への移住を検討していて、シニアの移住促進(CCRC)に関して対応してほしいと、連絡があったときから始まった。
 彼は、東京浅草生まれで、腕の良い職人である父親のもとで育ち、大学を中退し、海外に飛び出した。ドイツを中心にヨーロッパに2年弱滞在。その後カルフォルニアに移り、サンディエゴで45年程過ごしていた。自分の生涯を、自分が納得できる日々を過ごしたいと、組織やサラリーマン生活には全く興味がなく、自分を磨くことと、組織に縛られない自由を追い求めていた。
 米国, サンディエゴに滞在している間に、多くの経験をする中で、結婚・離婚も経験し、お子さんにも恵まれた。多くの時間を自分中心に、自由人としての生活を謳歌したらしい。
 その間、体格の良い米国人に体力的にも負けないようにとのことから、少林寺拳法に没頭し、米でのその道の中心人物にもなり、自ら道場を開き多くの優秀な門下生を育てたそうだ。
 自ら、少林寺で体を鍛える傍ら、何かの原因で具合の悪い方々のために、自然治癒の研究に集中し、米国で多くの期間から表彰や推薦状をもらう。その道の専門家にもなり、多くの人々を治療し、自然治癒医療分野で貢献してきた。
 彼はそのまま米国で暮らすか、故郷の日本で晩年を過ごすか、かなり迷ったに違いない。
 何度か、日本の親戚や知人を訪ねる間に、自分の生まれ故郷である日本で暮らすことを思い描き始めた。米国民に関しては子供に至るまで、自分としては貢献できたと思い、故郷の日本に関して何か貢献できないかと考えたに違いない。東京へ戻った際に自分の落ち着き先として、北海道から九州まで日本各地を回ったらしい。
 ほとんど、全国を回ったころに、四国に足を踏み入れてないことに気が付き、高知へ出向いてくれた。私はたまたま米国生活も経験があり、彼の人柄にもすぐに溶け込むことができた。私の地元の友人が近くに築8年程の手頃な空き物件をもち、それを彼が気に入り、田舎の町の雰囲気も悪くないと判断し、高知への移住を決めてくれた。その場所は私の住む、香美市土佐山田町から10キロ程の美良布で、物部川の上流に位置する、自然環境にも恵まれたところである。それから、1か月ほどして、車に家財道具を詰めて、引っ越してきてくれた。
 現在は、英語を生かして、翻訳の仕事を探しながら、近隣の子供に英語会話を楽しく教えている。できれば、CCRCの活動に絡めて、彼の特技である、自然治癒医療の能力も生かしてもらいたいと考えている。

2019年09月09日

87、流通コスト(令和元年8月20日)

 大学の大先輩であるM氏から色々と問い合わせがくる。長くインドネシア、ジャカルタで日本の大手建設の現地社長を経験され、一度日本へ帰国された後、知人の多いインドネシアへ再度住まわれている。M氏はインドネシアの政府筋の方々など、多くの人脈から各種事業のコンサルタントをされているようだ。
 私が高知で青ネギを栽培して販売していることから、農業関係の問い合わせが多い。彼が現在取り組んでいる案件に、魚の養殖用の餌、飼料と農業用の肥糧に関してである。主にインドネシア産の商品を日本に輸出することをターゲットにしている。私への調査依頼は、それらの商品を日本へ輸入した場合の販売価格を知りたいということである。しかしながら、御存じのように、飼料、肥料に関して、成分と内容で価格差は大きく、的確に回答ができない状況である。
 現在は、海外でも日本の情報はインターネットで調査できると想定しているが、それでも日本在住の私の情報も欲しいということだろうか。肥料や飼料が、日本側でどのくらいの価格で販売されているかを知りたいということは、それによって生産地、製造者の卸価格を決めるということだろうか。
 国際間の取引の場合一般的には、中間の流通コストを十分に考慮しなければならない。この流通コストとは大きく分けて、物流関連費用(荷造り・通関貿易手数料・各種運賃等)と流通マージンがある。物流関連費用に関しては、物流量、輸送方法が確定すれば、計算することができるが、流通マージンに関しては流通経路をどのように仕組むかで大きく変わることになる。
 例えば基本の流れを確認してみると、インドネシアの生産・販売価格に対して、買い手、輸出業者、日本の輸入業者、問屋、小売店、購入者と多くの手を経て流通することになる、どこかの時点で販売在庫を抱えることになる。
 別のケース例で、製品輸入の概算をお知らせすると、最終小売価格が100円とすると、小売店への納入価格は60円程で、卸価格は40円、輸入者の輸入価格は20円程になるに違いない。したがって、海外の生産者の販売価格は10円以下かもしれない。このように推定すると。海外の生産者にとっての販売価格は大変厳しい価格になると推察できる。したがって、10円以下で生産されたのが、10倍の100円で販売される訳である。
 肥料や飼料も同じような流通経路をたどるのであれば、同様な状況になるはずである。小売店に近いところで在庫を持つとなればそれらの置き場や、倉庫の経費も見積もらなくではならない。流通コストをいかにセイブする仕組みにするかが大事な課題となる。それには、単なる売り買いではなく、生産者と販売者が協力し合い、流通コストの低減を徹底して進める必要がありそうである。
 インドネシア側で新たな商品開発をするのであれば、同時に流通・販売ルートも同時に立ち上げる必要がある、現在同様な流通が存在するのであれば、そちらとの協力関係を初めから構築していくことが賢明かと思われる。このことを、私からジャカルタのM氏に十分説明する必要性を感じている。

2019年08月20日
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